【論考】なぜ今、日本語こそ守るべきか? ― グローバル化時代における言語アイデンティティの重要性
1. グローバル化と「言語の空洞化」
グローバル化の波に乗るために、「英語を話せる子ども」が求められている。
だが、英語を先に教えすぎることで、「日本語による深い思考力」が育たないという現象が生まれている。
これを専門家は“言語の空洞化”と呼ぶ。
2. 英語教育の加速と日本語の軽視
- 小学校英語が正式教科化
- 中高では4技能重視でスピーキング偏重
- 一方で、国語の授業時間は横ばいか減少傾向
- 読書感想文や作文教育が“面倒なだけのノルマ”化している
この状況が続けば、「英語は話せるけど中身のない日本人」が量産される。
3. 作文・古典は“限定的”でいいという現実主義
ここが超重要。
現代の教育には、「全部やらせる」という昭和の残滓が残ってる。けど、学習リソースは有限。
「基軸としての日本語は大切。でも、古典や作文は限定的でいい」
という合理的視点こそ、これからの教育に必要。
- 古典 → 全員に必要な内容じゃない。リテラシーの基礎に絞ればOK。
- 作文 → 表現力より、論理的に考える構造が大事。
“美文”じゃなく、“意味のある言葉を操る力”を育てるべき。
4. 言語=文化の中枢装置という事実
- 日本語の「間」や「曖昧さ」
- 漢字に含まれる意味の重層構造
- 敬語文化による上下関係・社会構造の理解
こうしたものは、ただの言葉じゃなく、世界の捉え方そのものに影響する。
言語が変われば、思考が変わる。
思考が変われば、文化が変わる。
だから、言語を守る=文化を守る=自分たちのアイデンティティを守るということ。
5. 新時代の言語教育のあり方
● 理想的なバランス
- 基軸:日本語(論理+表現の最低限)
- 補助:英語・他言語(国際接続用)
- 選択制:古典・作文(やりたい人・向いてる人だけでOK)
● 必要なのは“読解”より“思考言語力”
→ 意味を読み取る力より、「問いを立てる力」「議論を言語化する力」を育てるべき。
結論:英語より前に、自分の言葉を取り戻せ
「グローバル時代だから英語!」という短絡思考では、
“自分の文化すら語れない日本人”ばかりになる。
必要なのは、
- 他国と繋がる前に、自分の言葉で考える力
- 思考を支える日本語の深さへのリスペクト
- 教育のリソース配分を再設計する現実主義
「守るための日本語」こそ、今、真剣に見直すべき。
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