なぜ地方政策は死に体なのか──中央集権の末路と地方切り捨ての現実
はじめに:なぜ地方は衰退し続けるのか?
少子高齢化、人口流出、インフラ老朽化、産業空洞化。
地方が抱える課題は枚挙にいとまがないが、問題の本質は“地方の能力”ではない。
構造的に「自律的発展を不可能にする仕組み」が組み込まれているのだ。
この問題の核心は、中央集権政策とその延命構造にある。
地方政策は死んでいない──初めから殺されていたのである。
地方政策が“死に体”である3つの構造
1. 中央集権の帰結としての「地方統制」
戦後日本の行政構造は、中央主導の計画経済モデルを基盤に作られた。
地方は“実行機関”として位置づけられ、政策の決定権・予算の裁量・構造設計の自由を持たなかった。
この構造がいまなお温存されている。
- 補助金交付が予算の大半を占める
- 人事や制度設計が中央省庁の意向に従属
- 自主財源比率が極端に低い自治体の多さ
つまり、地方政策は自律的な“政策”ではなく、中央の「実施要項」にすぎない。
2. 官僚機構の自己拡大と予算偏重
中央集権が維持される最大の理由は、官僚機構が自らの権限と予算を守るために他ならない。
結果として、「地方に金を回す」ことが目的化され、本来の政策目的が曖昧にされていく。
- 補助金の多重構造(国 → 県 → 市 → 委託先)
- 中抜き・事務手数料・コンサル費による“溶解”
- 結果評価より「予算執行率」重視の風土
この構造は、地方が本当に必要とする改革資金を奪い、形式的な“支援”をばらまくだけに終わる。
3. 地方の“発展”は民間に委ねられている
本来なら、政策こそが地域産業や社会構造をリードすべきである。
だが現実は真逆だ。
- 自治体は制度維持に追われ、新規事業やスタートアップ支援に消極的
- 地場企業は補助金申請にリソースを取られ、イノベーションに集中できない
- 若者が流出し、高齢層の票田構造が改革を阻害
こうして、地方は**「生き延びること」には全力を注ぐが、「未来を作ること」は民間任せ**になっている。
国家としての“地方への未来設計”が完全に欠落しているのだ。
本来の地方政策とは「構造の設計」であるべきだった
地方創生とは「予算の再分配」ではなく、権限と責任を地方に戻す構造改革であるべきだった。
だが中央官僚機構は、権限委譲を“政治的敗北”と見なす。
結果、地方には「決める力」がないまま、実行責任だけが降ろされる。
これは自治でも連邦でもない──ただの委託と支配だ。
今、必要なのは「地方における思想と設計力の回復」
この構造を打破するには、
- 地方が「自らの未来を設計する意思」を持つこと
- 民間と行政が一体化して行政依存から脱却する設計図を描くこと
- 国民一人ひとりが「中央と地方の関係性」を問い直すこと
が必要だ。
地方政策の無能化は、地方の能力の問題ではない。
構造的に思考停止を強制された末の帰結なのだ。
コメント