【黙秘権は誤った前提か?】本来は「証言の正当な評価」が制度設計されるべきだったという視点から読み解く司法の矛盾
「黙秘こそ人権の証」― それは本当に正しいのか?
現在の日本の刑事司法では、「黙秘権」は憲法で保障された基本的人権とされています。
その目的は、自白の強要や拷問、虚偽の自白による冤罪を防ぐこと。
しかしここに一つの重大な問題があります。
なぜ「発言を評価する仕組み」ではなく、「発言しない自由」に頼らなければならないのか?
本来、発言や証言が「きちんと真実に基づいて扱われる制度」があれば、黙秘する必要はないはずです。
にも関わらず、現行制度は「黙っていた方が安全」と教える。
これは果たして健全な法制度と言えるのでしょうか?
黙秘権が生まれた歴史背景:制度の“守り”としての発想
黙秘権は、西洋近代において拷問や不当な自白強要から人々を守るために生まれました。
日本でも戦後の憲法制定によって取り入れられた制度です。
しかし、その成り立ちから分かるように、黙秘権とは*「発言を信じてもらえない環境」ありきの対処法*であり、制度としては非常に“防御的”なのです。
なぜ黙秘権では限界があるのか?
1. 黙秘が「疑いの印象」を与える
実際には黙秘することが不利にならないはずですが、現実には裁判官や世論が「なぜ黙るのか?」と疑念を抱く。
2. 真実を語る者が不利になる場合がある
証言をすればするほど、その一部の揚げ足を取られて不利になる。これでは、「黙っていた方がマシ」な制度設計に他ならない。
3. 特権階級にだけ有効に使われる
一般人が黙秘すれば「反省していない」と扱われ、政治家や財界人が黙秘すれば「権利を行使している」とされる。この不均衡が制度への信頼を壊しています。
本来あるべき制度設計とは?
黙秘権の保障ではなく、「証言や供述を正当に評価し、歪められない仕組み」こそが必要だったと考えるのが自然です。
例えば、こんな制度が本来あるべきだった
- 発言の一部を切り取って不利に扱うことを明確に違法化
- 証言の信頼性を第三者機関が評価する制度
- 取調べの全記録(映像・音声)の義務化と公開制度
- 虚偽誘導が行われた場合の即時無効判定制度
つまり、「沈黙で守る人権」ではなく、「発言を守る制度」が必要だったのです。
結論:黙秘権は「不完全な制度」の象徴かもしれない
- 黙秘権は、真実を語ることよりも、沈黙を選ばせる制度
- それは、本来「発言が正しく扱われる環境」を整備すべきだったのに、それを放棄した結果の代用品
- 特に現代では、権力者が黙秘権を「真相隠蔽の盾」として使っている実態がある以上、制度の再設計は急務
最後に:沈黙に頼らなくてもいい社会へ
真実を語れる社会とは、「語っても不利にならない」「語れば正当に扱われる」社会です。
本来、司法とはそうあるべきであり、沈黙が最良の選択肢である現状は制度の敗北を意味します。
私たちは今、「黙秘権を守るべきか」ではなく、「なぜ黙秘が必要な社会になってしまったのか」を問うべきなのです。
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