「正しくあろうとする力」が構造を壊せない理由:理性を超えて知性に立て

はじめに:理性的であることの落とし穴

私たちは日常生活で、「理性的であれ」と教え込まれてきました。冷静で、合理的で、誰も傷つけない判断を。
しかし、実はこの「理性」こそが、本質的な変革の最大の障害になることがあります。

理性とは、既存の秩序や枠組みを守るためのツールに過ぎません。構造改革――つまり壊して再構築する行為においては、むしろブレーキになるのです。


理性は「社会適応の装置」に過ぎない

理性が人間に備わった本能的な機能の一つは、衝突の回避です。
理性に従った判断は、次のような特性を持ちます:

  • 対立を避ける傾向
  • 最大公約数的な意見への収束
  • 空気を読み、同調圧力に順応
  • 感情を抑え、秩序を維持する

社会生活では有効ですが、構造を「壊す」ことが前提の場面では、逆に自己制限の力として働きます。


構造改革とは、価値観を破壊する行為である

理性的であることは、改革の「刃」を鈍らせます。
構造改革とは、誰かの常識や価値観を破壊する行為です:

「それは正しくない」
「そんなやり方は通らない」
「前例がない、非常識だ」

こうした反発に対し、理性は即座に“無難な解”を提示します。しかし、その瞬間に改革は鈍り、現状維持という名の停滞が始まるのです。


知性は理性を超える:変革に必要な“もう一つ上の判断力”

知性とは、単なる理性を超えた衝突を引き受ける覚悟です。
理性を道具として使いこなし、目的に忠実であるためには以下が必要です:

  • 対立や拒絶を恐れず、決断する勇気
  • 合意形成ではなく、意味の再定義を重視
  • 理性を単なるツールとして認識する自己認識
  • 一時的な混乱や痛みを受け入れる力

構造を変えるには、理性の声に従うのではなく、それを黙らせる強度が求められます。


「無難さ」の代償は、変わらない現実

多くの組織や社会改革が失敗するのは、「誰も傷つけない改革」を目指すからです。しかし、痛みなき変化など存在しません。

変革とは価値の断絶であり、対立と混乱の中でこそ生まれます


結論:理性を超え、知性の側に立て

  • 構造改革は必ず価値観との衝突を伴う
  • 理性は秩序維持に適しているが、破壊には不向き
  • 無難な判断は現状維持を再生産するだけ
  • 知性ある人間は、理性を道具として扱い、痛みを引き受けた上で未来を選ぶ

「正しさ」は変化を起こさない。決意こそが、構造を壊し、未来を創るのです。

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